30日(日)

ともかくよく寝た。
夕方から相方と日永輪くぐり神事へ。

今月は母の逝去大切な友人の逝去合間にライヴと月初から忙しい月でした。
同時に新しい出会いも沢山あり良き事かなと。


29日(土)

藤沢から鈴鹿へ。
KAZ-KANにてyajuのお二人+和田八美さんとジョイント。
京都時代の大先輩ブルーサー西野やすしさんとは20年数年振りくらいで、拾得のセッションでよくもんで貰いました。
当時ギターキッズに毛の生えた程度の勘違いの自分をぐっと違う領域に持ち上げてくれたのもこの方。
yajuの演奏は純圭さんの歌八ちゃんのピアノ西野さんのギターが絡み合い物凄いグルーヴでした。
最後のセッションもともかく反応がすべてという感じで懐の深いバッキングの中ひきまくってきました。
僥倖とはこのこと、次回は関西でぜひということで。


28日(金)

パリで急逝された大切な友人の通夜へ。
先日の母のときと同じように夜伽で棺の前で酒を飲みギターを弾く。
僕の音楽を本当に愛してくれていた人とのかけがえのない時間。
美那ちゃん僕の演奏は届いたでしょうか?
「いちろちゃん、やればできるじゃない」なんて明るい声が聞こえてきそうでした。






27日(木)

明日は藤沢へ。。

http://www.youtube.com/watch?v=00SJtC9xAnM


26日(水)

腰の痛みを残しつつ名古屋へ、だいぶまし。


25日(火)

やはり目覚めると腰がガチガチ、なんとかほぐしつつレッスンへ。


24日(月)

夜ちょっとしたタイミングで腰をやってしまう。
まあその後はいずりながらもサザエを焼いたりしていたのでましな部類か。


23日(日)

実家で妹と相続関係の書類あれこれ済まし近くのばあちゃんに会いに行き四日市へ。


22日(土)

ギターとマイク1本携えて京都宇治へ。WAOYAにてソロライヴ。
今回は2つの悲しみを抱えつつ演奏、届いたかな。


21日(金)

野分結成からはや2年ということで相方の昼休みに大和屋でカレーうどんを食いつつ。
そのまま名古屋へ、終電までレッスン。


20日(木)

雨・雨・雨


19日(水)

名古屋でレッスン。
今日もまた悲報に胸が痛む。


18日(火)

ほぼ日常復帰。左手のツメが伸びすぎてギター弾きづらし。
尾平レッスンの後自宅レッスン、生徒さんビール持参、飲む。


17日(月)

掃除と洗濯でほぼ一日。


16日(日)

相方と博多ラーメンなみヘいスタバ映画スタバ。


14日(金)

寝一日


13日(木)

四日市へ、帰宅したとたん雨が降ってきた。
相方と鉢ノ葦葉でラーメン、疲れた体にさっぱりとうまい。


12日(水)

母葬儀


11日(火)


京都へ、にいちゃん頼むでと夜伽をひとりでまかされて、
ひょっとしてこれは出たきりの息子に会いたがっていたという母への妹の心遣いなのかななどと勝手に思いつつ棺の前でひとりサケを飲み大屋ギターを弾き母の亡骸とともに夜を過ごす。
本当を言えば初めてのおかあちゃん独り占めやったなあと、、なんかええ夜でした、説教もされへんし。。

  


10日(月)

京都へ。最寄の駅から向かっていると妹から急いでとメール。
病院に着いておよそ1時間半後に妹と二人見守る中苦しそうだった顔がふっと和らいで静かに息を引き取りました。
子供のとき以来母の手を握っていた時間の最長記録でしたが、亡くなってなお何十分と母の手は暖かかったです。
葬儀屋等の手配を聞き届けて準備のためいったん四日市へ帰り、メソメソと夜を過ごす。


8日(土)

スワサロンで昼食後3人でDenpo-Gへ。
久しぶりに聴く伊藤くんの気迫にあふれた演奏に打たれつつゲストでレンボーンの曲をデュオで2曲、終わりに3人で1曲。
いつもどうりのアットホームなウチアゲで酔う。ウチアゲでは相方と野分演奏も、いい夜会でした。


7日(金)

ええ天気の中朝から大掃除買出しなど、相方が差し入れてくれたりしているうちにみるみる曇天になり湿っぽい風が吹き出す。
ああ雨男伊藤くんが来るのかと苦笑しつつもなんとか晴男パワーを発揮した模様で雨は降らず。
到着した伊藤くんとビオラ弾き三好さんを接待、今日は楽器触らず遅くまでノミクイカイワに興じる。




6日(木)

尾平でレッスン、今日で最後の生徒さんもいて落ち着いたらまあまたいつなとおいでと。


5日(水)

名古屋パルコでレッスン、帰宅してまたレッスン。
金曜に伊藤賢一くんが来るので掃除をせねばね。


4日(火)

尾平でレッスン。


3日(月)

母の入院する京都の病院へ、痛み止めのモルヒネでぼんやりした中わずかの会話。
帰り際に2回ありがとうと母の言葉。
とはいうものの昨日は妹家族と外出して焼肉屋に行ってほんまもんのビールあかんかなあなどとゆうていたらしい。
おそらく最後の外出もう長くないかもと妹の決断帰り道なにもかも妹にまかせっきりで顔も出さずすまぬ母と。
週明けにまた来るしなとその足で昔亡くなった彼女の墓にバチが当たるほど久しぶりに手を合わせに行きレッスンのため新幹線で名古屋へ。







































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