自ら自分をギターオタクと呼ぶ人たちがいる、一方僕がギターおたくと呼ぶ人たちがいる。
前者はどう高く見積もってみても消費者の域は決して出ない。
後者は全てではないがある意味深く探求する研究者でもあり、あるとき自分が見失った立ち位置の指針になってくれたりもする。
その違いはその美しさも含め富士山と解体現場の廃材の山ほどの差である。
好みとグレードを決して混同するべきではない。


腰を痛めたときに無理やり楽器を弾いてみるとどういった時にどこに負担が来るかが明確に感知できた。
そしてその負担をどこに散らしているのかを知ることになった。
それによってカラダ全体のバランスをリセットすることができた。たまにはどこか痛めてみるもんや。


まずは弾きかたやろね。


鳴りが弦がどうとかについて個人的な意見が無いわけではないが、素人がそれを言っても仕方がない。
素人が並べる専門的な意見は、専門家による素人くさい解説よりタチが悪い。無意味であるのみならず有害。


最も信用できないもの、それは自分の感性と感覚。新しいことを自分レベルで翻訳してしまうとそれは今のままということ。


動はたやすいが静はそうではない。動は静によって左右されるとしたら動もまたたやすくはないということか。。

かつて自分がそうであったようにトレーニングの達人にはならないように。
それを何に使うかという目的を明確に。目的があればいくらでも目の前にあるヒントは拾える。6/1


ウタモノをソロギターにアレンジするときの注意は決して歌詞の世界を欠落させないように。


練習をスポーツのようにやる人がいるけど、繊細な感覚が育たないばかりか逆に失われてしまうような気がする。
ドレミが歌わない人は何をしても歌わない。
ペンタトニックスケールなんかはそれ自体に何と言うか風味がある分スケール自体に多少助けてはもらえるけど、
その檻から出ることが肝心であってやはりドレミを歌えない人はあの檻この檻の中つまり囚人である。4/28


どんなに稚拙な演奏であっても「弾いている」のと「何かに弾かされている」のとは次元が違う。
ぐるぐると「幼稚な自分」のコピーをしてるだけ。


どんな在り様で日常を過ごすかだ。
在り様が姿勢を決定し、学ぶべき要素を規定する。この順序は大切、逆は無い。


そこに世界があれば狭いステージでも広く見えるもの。
ただギターを弾いているだけなのとその世界から音楽が溢れ出ているのとの違い、あまりにも大きな違い。
それを認識できるレベルの人のあまりに少ないことか。3/18


自分と直接関連性の無いことに好奇心が働くのかどうか。実は、そこに幅を形成する大きな鍵がある。


自分→弦→楽器→機材→→ 優先順位はあくまでも自分自身であって弦以降は本質的にあくまで2次的なもの。
しかしながら弦以降のクオリティが高ければ自分へのフィードバックが大きくなる事も確か、自分も高まる。
まずは自分のクオリティを高める事が重要。3/18


御託より二択。


感情など全く入れなくてもそう聴こえさせるのが芸とか技術というもの。
感情はあくまでも表現するもの。


レシピの前にもっと味を知ろうということです。
同じコピーをしてもなんていうかその度数が違うんです。


たとえばアルペジオのパターンをたった5種類どんな環境下でもすっと取り出して組み合わせる力があれば一生持つと思う。
そこまでいけば応用が利くということだから組み合わせはいくらでもある。ある時出来ただけではクソの役にも立たないもんです。


盛り上がりを表現しようと無理やり強いタッチで音量を上げる<表現自体に引っ張られて自ずと強いタッチになり音量が上がる
前者は自分の中に肝心な表現がない、これが手を壊す元。うまく”表現”できんけど笑。10.1.20


鬼のような稽古の中でどこまで”ラクして”成果を出せるか考えるのはおもろい。
結局どこまで体の各部位の力を抜いてリラックスさせられるかということなのかも。


音階(スケール)はまず1本の弦で横に理解するのがいい。


イレギュラーな状況を作り出して練習すべし。ライヴなんてイレギュラーの連続なんやし。


アレンジする時まずはもとのメロディは変えないこと、これはまず作曲者に対しての最低限の敬意。
もし変えるのであればそれを作曲者の前で堂々と弾けるかどうか?
ただメロディをはずしているのかデフォルメしたものとして伝わるのか。
まだまだデフォルメは無理やろうし、いろんな連中が簡単にやってしまって、
悲しいかな聞き手のレベルがあまりに低いためにそれが許されてしまっている状況はあるけど。
きっちりやると分かる人には分かるもんやから。
それが出来てからメロディをフェイクしてよし、その後はじめてデフォルメが許されるもんやで。
芸術の世界全般のレベルでものを判断するといいよ。 8/28


よく右手のタッチがええやわるいやどうのこうのという話を聞くにつれ、全く本末転倒だと思う。
まず自分の中の音楽、音色の基準を目一杯持ち上げることに心血を注ぐべき。
そやないとそれこそ僕みたいな教則屋(笑)に一生カモにされます。


↓最後に下のセリフに逃げ込む人が多いってこと。低年齢化もしているし。
僕は「昨日より少し良くなろう」とコツコツやってきただけ、みんなコツコツやってます。7/22


「自分は音感がないから。。」「自分はリズム感がないから。。」というセリフを自ら吐く大人が多い。
そういう人につける薬はいまだに見つけられない。どこかに売っていないものか。7/14


CDが出来ました。出来たからには売りまくると決めた。そのためにはまず何よりも良い演奏とMC(笑)。。。7/14


爪を滑らせるピッキングが理想の音に近いと認識してはいるものの、自分の動画を観ると平行に当てるピッキングになってることが多い。
自分の身体なのにあまりに認識できていない、思い込みは大敵。ううむ修行や。7/12


僕の作り出した音楽を絶対と言ってくれたある人を思いながら。
自分の音楽をこの上なく誇りにも思うし、また心底憎む。6/18


くだらないしがらみは排除すべしである。6/5


音楽の成長は人の成長でもあるなあ。5/27


技術のための技術に溺れる人にはならないように。


シンプルだけどイージーじゃないもの、シンプルではないけどイージーなもの、時代は後者だけど自分は前者を目指す。2/5


教室でよく「何々を意識して」みたいな指示を出すのだけど、動きが出来ていない人に出す指示としてはいかがなものかと最近思う。
出来る人にとっては「ああこういうことね」とすぐ解るけど、出来ないから解らないのであって、その人にとってそんな言葉は意味を成さない。
結局「出来るまでやれ」やな。出来たら解るもんな。1/24


なんというか、清濁併せ呑む感性は絶対必要だと思う。1/15


楽器とか機材はいいに越したことは無いと思う。けど本当に大事なのはピッキングのタッチだとかニュアンスやと思う。
ピッキングは一筋縄で行かないもんだというのは単なる思い込みで大切なことの本質なんか案外シンプルなことやで、イージーやないけど。1/9




                                              

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