4月

3日
近頃ギターを弾く時のタッチについての質問が多い
「嫁はんを触るように弾いてみ」 「最近さわってまへんね」 「出会った頃はどんな風?」 「こんなんかなあ」 
「それでええんや」 「アンプラグドはギターだけにしときや」 「はあ」 大の男が密室で指をくねらせる光景は気持ち悪いやろな。

4日
採譜の仕事で徹夜が続く、寝りゃいいのだがつい詰めてしまうのでフラフラである。
きっとこういう人たくさんいるはず。こういう人ら集めてサルサバンドなんかやるときっとええノリなんやろな、”疲れマラオールスターズ”なんてどやろ。
”演奏後は飲酒吸煙乱交活動→熟睡→昨夜の自分が他人の様”のパターンで。ああホンマに疲れとるのか、こんなことしか浮かんでこんな。

5日
鈴鹿島村の教室担当の I 嬢が転勤のため今日でお別れ、ほぼ一年間お世話になりました、感謝しております、元気で。

6日
ギター習いにきてる I 君からフィンガーピッキングコンテストの報告、横浜まで観に行くところが向上心の表れである。

高校生の頃大阪へアコースティックギタートリップというイサトさんやデビュー前のゴンチチなんかが出ていたライブにラジカセ持って足繁く通った事を思い出す。
22〜3年前のことである。ギター始めて2〜3年、フィンガーピッキングなんぞやる人は周りには皆無でレコードしか情報源が無い時代に目の前ですごい演奏が聴けるもう目が点になるライブだった、特にゴンチチ(ゴンザレス三上とチチ松村)とイサトさんのタッチの強さが印象的だった。岸部君とかもそこにおったんやろなあ。

当時会場で配られていた小冊子を先日眺めていたらQ&Aコーナーにかの打田十紀夫氏(大学生ぐらいの時かな)の投稿質問があったりして感慨深げであった。
ひとつ思い出したエピソードがある、当時京都のワタナベ楽器に入り浸っていたのだが、その時の目撃談である。その時のアコースティック店の店長が高槻のアコースティックギター専門店井上楽器オーナーの井上さんだった、いつものごとくギター弾いたりウダウダしゃべったりしていたときにギタートリップを主催する2人のギタリストがその小冊子を置かせてくれないかと店にやってきたのを井上店長「うちはそ〜いうのはちょっと・・・」と断っていた現場に遭遇、「え〜〜なにすんねん?」と思ったことが昨日の様である。すぐに追いかけてその小冊子を100円で買って「がんばって下さいね」と言った事を思い出すなあ、昭和56年の話である。
井上さん、俺は見てたで〜〜〜、わはは。

ペータさんとタブ譜の件で電話で話す、今九州ツアーの最中、足の具合はどうなのかな?次関西に来る時はソモギ弾かせて下さいね〜〜〜。

7日
名古屋の帰り久しぶりに喫煙車両に乗った。タバコ吸いの自分でもイヤになるぐらいの車内の空気の汚さに閉口。

もう桜は散ったかな、毎年思うのは夜桜てなんであんなに凄まじいんやろか、背筋が凍りつくような何かがある。
言葉が見つからん、どこかOUTしてる感じ?狂った感じか、根元を掘ったら自分の死体でも出てきそうな怖さかな、もし貞子でも立っとたら発狂するで。
だから夜の花見はいやなのだ、ちびりそう。

9日
ギタースクールの生徒のギター探し、OOO−28に決まった。ええなあ。

13日
Nさんの計らいで京都での養老彌助さんのライブに飛び入る予定が嫁の都合で遅くなってしまい山科での打ち上げからの参加、養老さんやプー横丁の松岡さんを紹介していただく、ひょっとして大阪での養老さんペータさんのライブに加わるかも。こういった人間関係の広がりてええもんやな。
去年小松原俊さんのライブに出させてもらった時大阪からきていたY君がそこにいてたりしていい打ち上げでした。演奏出来なかったのが残念。
その後松岡さんを送り届けたあとNさん宅でギターを弾きながら夜半までいろいろと話す。

14日
Nさんと共に神戸のHIRO CORPORATIONへ、社長に紹介してもらう。ギターを弾きながらさまざまな話を聞いたり質問したりしたあと、食事に招かれたものの、ベロベロに酔うほど呑んだ。とはいうもののあまりに絶妙な酒と料理だったので気が付けば限界なぞはるか後方、Nさんと京都に帰って来た筈なのだが、かなり途切れてるな、記憶が。全く濃い一日でした。ヒロさんありがとうございました。
が、Nさん宅で復活、再びギターを弾きまくっていたような・・・。今日帰る予定がああやっぱり、もう一日泊めていただくことに。

15日
二日酔いのまま帰ってきて、生徒のギターを取りにいく。ストラトのネック交換も出来ていた。ひさびさのメイプル指板である。
家に帰ってチビと久々の再会、言葉の発達がすごい勢い、交換したストラトのネックいじくって「ネック鳴らんなあ」ゆうとる、そらそやろ。
ヒロさんにお礼の電話を入れ、Nさんとプー松岡さんにメールを入れる。しまったペータさんに譜面送ってないやんけ!

16日
あるギタリストの掲示板にライブの批評が書き込まれ、本人がそれに対して「じゃあ次のライブ来んかい、ごっついのん聴かすさかいな、良かったら声かけてや」
(もっともっと丁寧)というやりとりを見て、ほほーええ感じやん、と思っていたのもつかの間、真のファンと称する人たちからの書込み主に対しての非難が始まった。
某大物ギタリストも自身のホームページでそのことについてあれやこれやと書いて居られたが、なんかあさってな感じがするのは自分だけやろか。
匿名で掲示板に書き込むという行為自体あまり誉められたものではないけど、現場にもおらんかった連中がうじゃうじゃあとから俺も私もと沸いて出てくるのはなあ、本人の素早い反応があった時点でもう一対一(匿名の奴やし0.3ぐらいか?)のタイマンである。この人次のライブ行けばええけどな、きっといいライブやろし、取り巻きやのうてええファンになりそやけどな、取り巻き怖くて敬遠するゆーたらもうこら位相反転悲劇やな、フラットに物言えん状態、よくある話だけど。

こんなこと書いてる自分もどっちもどっちかも、それ以下か。

17日
チビとドライヴ、覚えたての唄を何度も繰り返し唄っている。
ええ勉強させてもろてますわ、そして和むなあ。
Mドナルドでジャンクフードを勉強する。
旨いのではなく旨く感じさせるためのギミックに巨額の投資がなされていると聞く、なるほどその通り音楽業界も同じか。
ちょっとは考える頭持たんと巨大資本のまさに奴隷やな、こら。

18日
arikoの演奏を聴きに松阪へ、和みました。おおきに

19日
チビと結構遠くまで散歩、好奇心のカタマリ、どこ行くか分からんので目を離せない。
公園デビューなぞしてる間あったら冒険なのだ。

21日
寒の戻りというのか寒すぎ、薄着で家を出てしまい名古屋へ。
すっかり体を冷やしてしまった。名古屋の退任を伝える。
今日の帰りは禁煙車両、途中からは客自分だけ、喫煙車両に吸煙しに行くのだ、そこもガラガラ。
特急料金もこれなら値打ちあるなと思う。

22日
チビが発熱、風邪らしい。で、嫁に移って俺にはまったく移らんゆうのが常態、なんでかな?
嫁いわく、ケモノには人間様の上品なお風邪は移らんのだそうな。
でもでこかで新型肺炎もろてきたりして。
あれ感染源のホテルに当時70何人かの日本人が泊まっていたそうな、でも追跡調査はされてないみたいやな。
過去の教訓が生かされないのが日本の特色やからこれからちょっと怖いかも。

23日
昭和9年生まれの生徒に大東亜戦争時の体験談を聞かせてもらう。
はたして当時の大人は竹槍でB-29に勝てると信じていたのだろうか?甚だ疑問である。
今回のイラク侵攻についても一匹の魚を駆除するために湖の魚全部殺してしまうようなやり方は疑問である。
赤子のちんこひねるがごとく、である。こんなん戦争ではのうてただの殺戮やな。
あらゆるメディアを使っていくらキャンペーンをはっても、多数の人を長期間騙しつづける事は不可能であることは歴史が証明しとるやんけ。あかん、酔ーとる。

24日
花沙音リハ、弾かんと聴いてるほうがええわ。ええユニットです。

25日
黒人の歌い手ニーナシモンが亡くなった事を知る、彼女の声には何度も助けられたなあ。
冥福を祈る。

26日
ガリバー花沙音ライブ無事終了、EGをライブで弾くのは10年振りくらいかな、エフェクト踏むのがああ大変。
お客さんも充分満足したようで、いいライブやった。サポートするのがいつも楽しみ。
次は来月、また違うもん出してくるんやろな。お疲れ様でした。

28日
名古屋のハンバーガーショップMでアルバイトの女の子が目の前で足を滑らせ大コケ、瞬間的に俺が持っていたトレイに乗ったコーラをつかむ。
あたり一面コーラまみれ、あとポテト3本ぐらい、溺れるものは藁をもつかむゆうやつかいな。そして丸見え大開脚である、制服フェチなら泣いて喜ぶ絵やろな。
その後「すみません」「コーラとポテト3本やな」「なにゆうてはりますのん」みたいな会話、Mの店員との人間的会話を始めて経験する。収穫やな。

29日
おおかた一週間チビの風邪で家の機能停止でした。やっぱり俺には移らんかった。




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